いざ生きめやも。
まずは背景知識から
予習編(→ http://takecinema8619.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html)でも少しは話しましたが、もう少し踏み込んで。
『風立ちぬ』は「堀越二郎」の半生と堀辰雄の作品をミックスしたものだという話はすでにしましたが、ここでは具体的に見てみましょう。
まずタイトルですがこれは堀辰雄の「風立ちぬ」という作品からきています。この「風立ちぬ」という作品は堀辰雄本人の体験をもとに執筆された作品で、結核に冒された婚約者と限られた人生の中で生きるという物語です。また堀辰雄の作品に「菜穂子」という小説がありまして、これは主人公菜穂子が婚約者と駆け落ちするという話です。
つまり二郎が結核を患った女性と婚約するのは「風立ちぬ」から、その婚約者の名前が菜穂子だというのは「菜穂子」から、それぞれ堀辰雄の作品から拝借しているというわけです。
それ以外の部分は主人公の名前をはじめ、「堀越二郎」の人生をベースにしているといっていいでしょう。
何を言いたいのかというと『風立ちぬ』っていうのは宮崎駿が堀越二郎の人生を好き勝手に、感動的に作り変えたものであるってことです。予習編でも言いましたがこれがこの映画を読み解く上では非常に重要なんです!
つまりどういうことかって言いますとね、この『風立ちぬ』という作品そのものが宮崎駿の理想、夢なんですね。
ご存知の方も多いと思いますが、宮崎駿ってかなりの兵器オタなんですよ。雑想ノートっていう宮崎駿が書いた本というか漫画というかがあるんですけど、これは彼が好きなだけ戦闘機や戦艦について描いてるもんなんですけど、あの人は本当に本当に兵器が好きなんです。好きで好きでたまらない。
一方で宮崎駿は戦争が嫌いです。かなり反戦の発言をしている人なんです。戦争は嫌いで嫌いでたまらない。
戦争は嫌いなんだけど、そこで使われ活躍している兵器は大好き。矛盾です。
これは劇中で二郎が本庄とシベリアを食べながら話していましたが、国の繁栄のために戦闘機に金をつぎ込み国民を食わせる金が無い。矛盾です。
そういう矛盾を宮崎駿という人間は抱えている。そしてこの『風立ちぬ』のなかで彼とかぶるのが二郎。
二郎は飛行機にしか興味が無い人間です。周りのことなんてどうでもいい。
震災で町が焼けているのに、そこを飛行機が飛んでるような妄想をしてしまう。
妹が上京しているのにそんなことは忘れてしまう。
会社の飛行機が軍に採用されなかったのに「僕は道が開けたような気がします」なんて見当違いなことを言ってしまう。
飛行機だけ。それ以外はまるで無関心。
(ちょっと話がそれますが)哲学者カントは無関心性を美学判断の条件だとしました。無関心性というのは対象を意識しないということです。たとえば、太平洋戦争の体験談に丘の上から燃え盛る町を見て美しいと思ったというものがありますよね。この人(具体的に誰かは知りませんが笑)は家が燃えているという事実をまったく気にしていないからこそ、燃える町を綺麗だと思えるわけです。
同じことが二郎にも言えます。二郎の造る戦闘機は人を殺します。そして性能をよくしようと追求すればするほど、人を殺す効率は上がるでしょう。しかし二郎はその事実を気にしていない。だから、堂々と自分は飛行機が好きなんだと言える訳です。
そしてそして。同じことが宮崎駿にも言えるわけです。兵器は人を殺すものだ。でもその兵器が好き。少しだけ二郎と違うのは自らの美的判断が抱える矛盾に気づき、葛藤していることです。
自分の抱える矛盾にどう答えを出せばいいんだろう。その答えを出すために宮崎駿が作ったのがこの『風立ちぬ』というわけです。
では、彼はこの映画の中でどのような答えを出したんでしょう。僕はカプロー二が劇中で発した言葉が彼の答えなんだろうと思います。
「君はピラミッドのある世界と無い世界ならどっちがいい。空を飛びたいという人類の夢は、呪われた夢でもある。飛行機は殺戮兵器として使われる可能性を秘めている。それでも私はピラミッドのある世界がいい」
菜穂子にも向く無関心
この映画を観た人で、二郎と菜穂子が震災で会ってゆくゆく婚約する、運命的な話だななんて思っている人がいればそれは映画をちゃんと見ていないんでしょう。
震災で出会ったときからずっと互いに思い続けていたと思っている人がいますがそれは間違いです。これには理由が二つあります。
まず二郎の学校に二郎のシャツや計算尺が届けられたとき。二郎は後を追いかけようとしますが、よく見るとこの時二郎が思い浮かべていたのは菜穂子ではなく菜穂子の家に仕えているおきぬさんです。菜穂子については何も思っていなかったんでしょう。
二つ目はもっとはっきりしています。軽井沢の泉で会った時、二郎は菜穂子に言われるまで震災の時に助けた女性だなんて気づきもしませんでした。
「あっ、あの時の!」
なんて寝ぼけたことを言っています。
あの時の!じゃねえよ!笑
二郎は菜穂子のことなんて想ってなかった。まったく運命的ではなかったわけです。
最初から菜穂子のことなんてどうでもいいから、婚約後もたいして気にかけません。
菜穂子は美しい姿だけを二郎に見せようと山から下りてきているのに、二郎は一緒にいるときも仕事ばかり。あげく煙草まで吸っている。
いや、菜穂子さん結核ですぜ?
普通愛する妻のためを思えば煙草我慢するでしょうけど…。二郎にとって菜穂子はきっとその程度なんでしょう。
と、ここまで読んできて薄々お気づきでしょうが。
二郎、屑です。笑
「二郎さんかっこいい!」
「自然に愛してるとか言えちゃうのが素敵」
twitterの検索に二郎を入れるだけでこんな感想が溢れています。
はっきり言ってこんな感想を持つような人はちゃんと映画を観ていないか、ものすごい懐の深い(屑でも愛せるような)すばらしい人格の持ち主かのどっちかでしょう笑
全然違います。二郎という男はずーっと飛行機に夢を見る男です。
最低な男ですよ!!
でもまあ僕は二郎が好きです。きっと何かに秀でている人ってこういうものなんだと思うから。
こういう人も世の中には必要だと思うから。
そして、宮崎駿も同じ事を思ったはずです。
「飛行機は人を殺すかもしれないが、無いよりましだ。私のような人間は矛盾を抱えるひどい人間かもしれないが、いないよりましだ」
分かりにくい部分
最後に、少しばかり分かりにくいであろう箇所を解説して終わりましょう。
多くの人が疑問に思うであろう部分は二つでしょう。
・カストルプとはなんだったのか
・なぜ二郎は特高に追われることになったのか
実はこの二つの疑問というのは関連しています。
まず一つ目の疑問です。いろんなところで言われていることではありますが、カストルプはスパイでしょう。彼は共産主義者としてドイツや日本に忍び込んでいたのだと思います。だからカストルプは追われていたんでしょう。
(他の理由としてカストルプがドイツの煙草を吸いきり悲しむシーンがありますが、吸いきったあとも彼は同じ煙草をなぜか持っている。これはスパイのルートを通じて物資を手に入れていたからだと言われています。また二郎がドイツに視察に行ったことを見抜いたのも同じ理由でしょう。彼はシャーロック・ホームズではなくスパイなのです)
なんとなく都市伝説めいた話に聞こえるでしょうし、これが本当の設定なのかは分かりません。
しかしこの説を採用すると二つ目の疑問にも説明が付きます。
つまり、二郎は軽井沢でカストルプと接触したために特高(特別高等警察という思想などを取り締まった機関です)に目を付けられたと考えると納得できる気がするのです。
最後に
この作品は宮崎駿の夢だと言うことを解説してきましたが、彼が抱える矛盾についてどのような答えをだしたのか、考えながらもう一度見直すとより一層面白いと思います。
ということで、風立ちぬでした。
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