2015年6月19日金曜日

【やってくれたな細田守】『バケモノの子』ネタバレ徹底解説&考察

果たしてどう解釈したらいいのだろう、をネタバレ解説




[作品情報]

タイトル:バケモノの子


監督:細田守
脚本:細田守
制作:スタジオ地図
主題歌:Mr.Children「Standing Over」


出演(声):役所広司、宮崎あおい、染谷将太、広瀬すず、山路和弘、大泉洋、リリー・フランキー、津川雅彦、山口勝平、宮野真守


公開:2015/07/11


ストーリー
この世界には、人間の世界とは別に、もう1つの世界がある。バケモノの世界だ。人間界【渋谷】とバケモノ界【渋天街(じゅうてんがい)】。交わるはずのない2つの世界に生きる、ひとりぼっちの少年とひとりぼっちのバケモノ。ある日、バケモノ・熊徹(役所広司)に出会った少年(宮﨑あおい)は強さを求め、バケモノの世界へ行くことを決意した。少年は熊徹の弟子となり、九太という新しい名前を授けられる。当初はことあるごとに、ぶつかり合う2人だったが、奇妙な共同生活と修行の日々を重ねることで互いに成長し、いつしか、まるで本当の親子のような絆が芽生え始める。少年が逞しい青年となったある日。偶然にも、【渋天街】から【渋谷】へ戻った九太(染谷将太)は、高校生の少女・楓(広瀬すず)と出会う。新しい世界や価値観を教えてくれる楓との出会いによって、九太は自身が本当に生きるべき世界を模索し始めるのだった。そんな時、人間とバケモノの2つの世界を巻き込んだ大事件が勃発する。みんなを救うために、自分にできることは何なのか?熊徹と九太、そして楓。それぞれに決断のときが訪れる―(公式サイトより)





[予告編]









公開初日に観てきました。

最近、細田守作品になんとなく食傷気味(見れば見るほど納得できなくなる気がする笑)だったのですが、今回の新作で初めて『サマー・ウォーズ』を見た時のワクワク感を思い出しました。

で、実際かなり面白くて、子供でも普通に楽しめる感じでしたが、ただ純粋に中身のない娯楽映画だったかというとそうではなくて、全編にわたって細田守の哲学が宗教や過去の名作と絡まりながら語られるという、真面目に観てると若干難しい映画だったと思います。

多分ところどころで、ん?ってなった方も少なくなかったと思います。

ということで今日はそんな難しい部分の読み解きをしていきます。




そもそも、この作品は別の作品を下敷き(ないしはモチーフ)に明確にしています。

し、細田守はそれを隠そうともしていません。

例えば、序盤の引越しのシーンで本棚から取り出された本はメルヴィルの「白鯨」でした。

また、後半九太が日本語の勉強のために使っていた本も同じです。

…というかエンドロールにも出典か参考文献みたいな形で「白鯨」って書いてあります。

明らかに『バケモノの子』は「白鯨」から一定をモチーフ的に使っています。

また同じくエンドロールの「白鯨」の次に書いてあったのは中島敦「山月記・李徴」所収の「悟浄出世」という話。

この2つは、エンドロールにも書いてあるわけですから、作品を理解する上で欠かせないのはハッキリしています。

では、この二作品は物語上どのような役割なんでしょうか。



中島敦「悟浄出世」の役割

まずはこっちの作品からです。(若干難しい話ですが頑張って読んでください笑)

この小説、もう版権が切れてるので青空文庫なんかにもありますから、気になった方は読んでいただけるといいのですが、若干古い日本語が使われていて読みにくかったりしますし、なにより自分で読んでみようなんて考える人はこんなブログ読んでないでしょうから簡単にまとめてみます。笑

みんなご存知「西遊記」を中島敦が書いたらどうなるのかっていう作品で、
妖怪たちがうごめく世界に沙悟浄という河童の妖怪がいた。
悟浄は自意識が強く、知識を持つがゆえにいつも「何故」を考えてしまい、妖怪の世界で苦しむ。
「自分は何者か」「自分は何故妖怪なのか」を知るため、世界中にいる賢者たちを尋ね歩く旅に出るが、それぞれの賢者たちがそれぞれの答えを持っており、煙に巻かれた気分になる。
結局分からず終いだったが、最後に現れた仏に「何故を考えるのはやめて、この後出会うことになるであろう三蔵法師について行け」と言われる。
結局よくわからなかった悟浄だが「分からないことを無理に尋ねないことが、分かったということなのか」と、納得はいかずとも以前のような苦しみからは解放された。

という話です。

まさに分かったようで分からない話なんですけど笑、ハッキリ設定を借りたりしてますよね。

妖怪がうごめく世界なんていうのは『バケモノの子』の世界そのものですし、久太と熊徹いっこうが強さの秘訣を賢者様に尋ねるパートなんてのはまさに「悟浄出世」です。


観れば分かるような形上の類似への指摘はこの辺にして、じゃあ、これはどういう意味で用いられたんだって話ですよ大事なのは。

『バケモノの子』では妖怪よりも弱い人間は心に闇を抱いてしまうという。

「悟浄出世」では悟浄がいつも「何故」を気にするのは心の病だという。

そしてこれらの作品は、心の闇(あるいは病)をどうやって克服するのかというところにあります。

「悟浄出世」の読み解きはその道の専門家の間でも意見の分かれるところではありますが、悟浄が救われたのは賢者に尋ねに行くという行為そのもののおかげだと僕は思っています。

救済のために必要なのは賢者からの教えではなくて、賢者に尋ねに行くという骨折り損をもいとわない姿勢であったと思うのです(し、そのような記述もあります)。

これを『バケモノの子』にも当てはめると、「いいからやり方を教えてくれ!」と言う九太に対して熊徹は「これは教えられるもんじゃないんだ」と言ってました。

そして九太はとりあえず無駄かもしれないけど、熊徹の動きを一挙一動真似してみる。

そうやって九太は強くなった、というような似た図式になることが分かります。



メルヴィル「白鯨」の役割

では「白鯨」は物語にどのような影響を与えているのでしょうか。(こっからさらに難しくなります涙 だって「白鯨」がそもそも難しい話なんだもん笑)

「白鯨」は簡単に言うと

イシュメールという主人公が宿で銛打ち(クジラに突き刺すあれです)をしている男と出会った。
イシュメールは神父の説教を聞き、奇妙な男の警告も聞かず銛打ちの男と船に乗り込む。
船長はエイハブという義足の男で、巨大な白鯨に足を噛みちぎられて以来その復讐に燃えていた。
鯨を探しす航海の途中にも様々な船に出会うが、船長は鯨のことしか眼中にない。
そしてとうとうイシュメールたちの乗る船の前に巨大な白鯨が現れ、戦闘が始まる。
何日もの戦闘の末、船長は鯨の背に銛を突き刺したまま鯨もろとも海中へ消え、船は鯨の巨大な尾で砕け散り、イシュメールだけが生き残ったのだった。

と、こういう話なんですが、途中ほんとにどうでもいい鯨の豆知識とかが入ったりしてまあ長い長い。非常に読みにくい小説で、実は僕もいつだったか投げ出したきりの作品です笑

で、『バケモノの子』ではハッキリとモチーフとして白鯨が出てきまして、一郎彦は心の闇を抱いた後、巨大な鯨となって九太を攻撃してました。

じゃあ、物語上どのような意味を持ってたのかというと、楓ちゃんが「白鯨っていうのは実は自分を写す鏡で、心の闇のことなんだ」って九太に語りかけるシーンがありましたよね。

小説「白鯨」の解釈として船長が善で鯨が悪だ、とする向きと、船長は悪で鯨が善と捉える解釈があります。

そこで細田守が出した解釈が「いやどっちが善悪とかじゃなくて、白鯨っていうのは船長が抱えていた心の闇だったんだ」というものだったのでしょう。

ニーチェの有名な言葉に「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」

なーんてのがあります。

つまり細田守は「船長は鯨に復讐を誓い、憎しみしか目に入らなかったがために、彼も鯨になってしまった」と解釈したと思うのです。

そしてじゃあ船長はどうしたらよかったのかというのは、憎しみを乗り越えた九太が心の闇を抱いた一郎彦を救済し、また父親と暮らし始めるという展開でもって答えられているのだと思うのです。

(白鯨の登場人物をバケモノの子の登場人物にあてはめるのもできそうでしたが、それをやるのは大変そうだったのでまたの機会に笑)



そしてここで活きてくる「バケモノの子」というタイトル

ではバケモノの子とは誰のことだったのか。

映画を見始めた僕たちは、「それは単純に九太のことだろう」と思っています。

しかし観終わった後には「実は一郎彦もバケモノの子だった」ということに気づきます。

そしてこの「九太=一郎彦(鯨)=バケモノの子」という図式は、まさに「鯨は自分自身を写す鏡であり心の闇」というセリフに繋がってくる。

つまり、九太と一郎彦はお互いを写す鏡であり、鯨を倒したのは(心の闇を乗り越えたのは)、熊徹との修行の過程であったのだ。という風に、「白鯨」と「悟浄出世」の話を上手く織り交ぜて『バケモノの子』という一大物語になっているのです。(一郎彦が心に闇を抱えた理由は自分とは一体なんなんだという問いを抱えたからでした)

なんて綺麗な構造でしょう笑

でも、そうやって考えるとしっくりくると思いませんか?



登場人物の声と顔

ここまで難しい話をしてきたので最後はちょっと笑える話で締めます。

細田守監督のインタビューで声優陣(特にバケモノ)はどうやって選んだのかについて「顔だ」と答えています。

ではどれだけ似ているのかを確認して、記事の最後にします。



驚くほど似てますよね笑(特に大泉洋とリリーフランキー)



追記

結局の僕の感想を書いてなかったのでちょっとだけ書いておきます。

観ていて終始ワクワクしていられたので、それだけで観た価値があったと思います。

ただ、「白鯨」や「悟浄出世」などを参考文献として出してきたり、細田守のやりたいこと・いいたいことがたくさんありすぎてとっ散らかっちゃったような印象も受けました。

楓の掘り下げがほとんどないのは、細田守作品ではヒロインはあまり魅力的に描かれないの法則があるのでいいとして、物語上メチャ重要な一郎彦の掘り下げまで少ないのはどうなんだろうとおもってしまいました。

特に一郎彦を九太と対比させるのならもう少し踏み込んでも…って感じ。

あと『サマー・ウォーズ』から細田守作品のテーマは「家族」になっていて、インタビューなどでも結婚してから「家族」をテーマに映画を作ってるって答えてます。

特に今回の作品では旧来のような家族の形が曖昧になった現代では、どういう家族のあり方があって、親子とはなんなのか、という描いています。

…なーんていう解釈がきっとベタでしょう笑









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